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神野正史先生の
一般書籍紹介

 











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神野正史著者ページ

 

















 


おことわり

まだ公開講座の数は少ないですが、順次追加配本されていきますので、長い目でお見守りください。

講座内容のご紹介

第4回配本 ナチスドイツの抬頭 

[戦後新秩序の基本理念]
第一次世界大戦は終わった!
しかし、それは、新たな「戦後新秩序」の構築、という大事業がこれから始まることを意味していた。
ドイツは、講和受諾の条件として、「十四ヶ条」をその条件とした。
パリ講和会議も、基本理念として「十四ヶ条」を採用する。
それでは、「十四ヶ条」とはいかなるものか。
その内容、その本質を知らずして、大戦後の歴史を理解することはできず、ひいては、現代の国際社会を理解することはできない。
ここでは「十四ヶ条」をひとつひとつ紐解いていく。

[パリ講和会議]
戦後の「新国際秩序」を話し合うため、世界中の各国全権がパリに終結した。
しかし、それも「建前」にすぎない。
弱小諸国は、決定権を持たされることはなく、敗戦国に至っては、出席すら認められなかった!
敗戦国との講和交渉が行われる場であるはずの「講和会議」に敗戦国すら呼ばれない。ここに「パリ講和会議」の本質が見え隠れする。
ソ連は、社会主義国家であるがゆえに参加を許されず、戦勝国の日本は、「劣等人種」であるが故に締め出された。
会議は、完全に、アメリカ・イギリス・フランス三巨頭による「利権争奪争い」の場と化していった。

[列強三巨頭の確執]
さようなわけで、敗戦国・弱小国・ソ連、そして、戦勝“一等国”の日本・イタリアを占めだして、米・英・仏の“密談”という形で始まったが、新興大国のアメリカと、旧時代大国の英仏の確執はひどいものであった。
アメリカは、旧大国の利権を「いかに剥奪し」「いかに獲得するか」に虎視眈々、英仏は、旧来の既得権を「いかに死守するか」に汲々とした。
しかし、あくまでも表面的・大義名分的には「国際平和を守るため」「植民地人の幸せのため」を装う。
腹黒ければ腹黒いほど、おのれを「きれいごと」でくるんで覆い隠そうとするものである。

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[国際連盟の成立]
『十四ヶ条』の第14条に基づき、国際連盟が誕生した。
しかし、建前としては、「国際平和の維持するための平和機関」と謳いながら、その実態は「英仏の既得利権を守るためのみに存在する利権機関」にすぎなかった。
創建当初からのこの「建前と実態の大きな乖離」は、国連の存在そのものを最初から危うくする。
No.1の経済大国のアメリカは参加せず、国連軍は存在せず、総会は全会一致制のためにほとんど機能せず、理事会は、日本・ドイツ・イタリアと続々と脱退していき、空洞化。
創建まもなくその機能を失っていく。

[ヴェルサイユ条約(国内)]
パリ講和会議の結果、ヴェルサイユ条約が締結された。
戦後世界が「ヴェルサイユ体制」と呼ばれるように、このヴェルサイユ条約が、戦後国際秩序の基盤となる。
したがって、この条約の詳しい内容・本質を知らずして、この先の歴史は理解できなくなるだろう。
ここでは、ヴェルサイユ条約の中でも特に「ドイツ国内条項」に特化して解説する。
いかにしてドイツがその誇りも利権もまるごと剥ぎ取られていったか、このときのドイツ国民の怒りがどれほどのものであったかを理解しておかなければならない。

[ヴェルサイユ条約(海外)]
ここでは、ヴェルサイユ条約の中でも、「ドイツの海外植民地」に特化して解説する。
ヴェルサイユ条約では、ドイツの海外植民地はことごとくすべて剥奪されることになったが、その剥奪された植民地はどうなったのか。
彼らが二言目には高らかに標榜する「民族自決」に基づいて独立が許されたのだろうか。
もちろん、そんなハズもない。
ドイツの海外植民地は、まさに、飢えたオオカミの群れに投げ込まれたウサギがごとく、一片の余地もなく、英仏を中心とした戦勝大国に食い尽くされていった。

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[東欧における戦後新秩序]
そもそも「民族自決」など、アメリカ大統領ウィルソンが、英仏の既得利権を剥奪するための“方便”として持ち出したものにすぎない。
アメリカの「建前と真意」をよく理解している英仏は、これをたちまちホネ抜きにしていく。政治家として無能なウィルソンなど、老獪な英仏にただただ翻弄されるのみであった。
のみならず、英仏は、その「民族自決」をさらに自己の利権死守のために利用する。アジア・アフリカではまったく認められなかった民族自決を東欧世界にのみ、ぞくぞくと認めたのだ。
その裏にはどんな理由が隠されているのか?

[戦後イタリアの混乱]
さようにして、すでに時代のうねりの中で二流国家に後退しつつあった英仏が、醜く既得利権を死守することのみに執着して成立したものがヴェルサイユ条約である。
その歪みが英仏以外の各国に顕れてこないはずがなかった。
イタリアは、戦勝国でありながら「講和では敗戦国」と言われ、戦後は社会的・経済的・政治的にも昏迷を窮めた。
そんな中で、ほんの1年ちょっと前に成功したロシア革命の影響を受け、イタリア世論は、まずは左に傾いていく。
トリノから始まった北伊ストライキは、そのまま社会主義革命へと発展していくような勢いであったのだが…。

[ムッソリーニ政権獲得]
しかし、北伊ストライキは、社会党が一枚岩でなかったことが災いして、ものの見事に失敗に終わる。
社会党(左)に失望したイタリア国民は、急速に右傾化、次の総選挙ではムッソリーニ率いる「戦闘者ファッシ」が大躍進する。
とはいえ、このときムッソリーニが獲得した議席数はわずか35議席。
とても政界をどうこうできるようなシロモノではなかったが、ムッソリーニは、ここで人生をかけたイチかバチかの賭に出る。
「ローマ進軍」である。
ここでは、無謀とも思えたこのクーデタ計画の詳細を追う。

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[ムッソリーニ独裁体制の確立]
「ローマ進軍」を成功させたムッソリーニは、念願の首相となったが、その地位は脆弱なものであった。
この昏迷した国を導くためには、独裁しかない。
そう信じるムッソリーニは、ここから独裁に向かって驀進する。
時限独裁権の獲得をステップに、アチェルボ法を制定し、各大臣職の独占していく様は「ローマのカエサル」を思い起こさせる。
さらには、他党禁止、ローマ教皇との和解…と、トントン拍子に独裁者の道を駆け上がっていったが、そこに降って湧いたように「世界大恐慌」という名の津波が押し寄せてくる。

[ヴァイマール共和国の成立]
それでは、戦後のドイツはいかなる歴史を歩んでいったか。
ドイツでも、戦後初の総選挙が行われた時、左翼が第一党、政府は連立内閣、右翼も無視できない、など、イタリアの状況と酷似していた。
しかし、イタリアと違ったのは、ドイツには過酷な「ヴェルサイユ条約」が押しつけられた点である。
この“厚顔無恥”な要求を前に、ドイツではまず右翼反乱(カップ一揆)が起こった点は、イタリアの左翼騒乱(北伊ストライキ)とは対照的である。
もっとも、「大山鳴動ネズミ一匹」というオソマツな結果に終わった点はイタリアと同じであったが。

[ヒトラー無名時代]
20世紀を激震させるヒトラー。
たったひとりの男が、ここまで人類の歴史に影響力を持つことは希有なことである。
ここでは、ヒトラーの生い立ちから、政治家に転身するまでの経緯を追う。
「悪の権化」のように言われるヒトラーだが、もし「ヴェルサイユ条約」というものがなかったならば、ヒトラーは「俺は天才画家なのだ!」と叫びつづけながらヘタクソな絵を描く、名もなき画家のひとりとして歴史から消えていったろう。
そんな誇大妄想家の画家など数え切れないほどいる。
ヒトラーが独裁者に駆け昇っていったのは、歴史のいたずらにすぎない。

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[政府崩壊の濫觴]
ヒトラーは画才はなかったが、演説の才能があった。
「ドイツ労働者党」に入党したヒトラーは、その弁舌でたちまち頭角を顕し、これを「国家社会主義ドイツ労働者党」へと改組、これを党首ドレクスラーから乗っ取ってしまう。
時を同じうして、ドイツ政府は、賠償金1320億金マルクという途方もない額を請求され、混乱する。
年間支払額60億金マルクを30年間に渡って支払うように請求されたが、それは、当時のドイツの国家予算に匹敵した。
まったく理不尽で破廉恥な要求に、怒り心頭のドイツ政府はソ連に接近する。

[内憂外患の深刻化]
それでも、ドイツ政府は「払わない」とは言わない。
「すこし待ってほしい」
しかし、フランスは、イギリスの反対を押し切り、これに「ルール出兵」という強硬手段をもって応えた。
だが、このあまりにも強引なこの手法は、イギリスを怒らせ、ドイツの徹底抵抗に会い、フランスはたちまち孤立化、経済的にも政治的にも社会的にも窮地に追い込まれてしまう。
ドイツもまた、フランスへの「消極的抵抗」が、史上稀に見るハイパーインフレーションを引き起こし、昏迷を窮めていった。そのような国際情勢の中、ヒトラーはほくそ笑んでいた。

[ミュンヘン一揆]
ハイパーインフレーションの中で、労働者階級は怨嗟の声をあげる。
その混乱に乗じて、ムッソリーニを敬愛するヒトラーは「ローマ進軍」よろしく「ベルリン進軍」の強行を画策する。
これがミュンヘン一揆である。
バイエルン政府を抑え、一時成功したかに見えたが、ヒトラーにも誤算があった。
クーデタ成功のために必須の人物として味方につけたルーデンドルフ。
彼は、第一次世界大戦の英雄であったが、あまりにもバカであった。
ヒトラーが東奔西走する中、ルーデンドルフがクーデタを台ナシにしてしまう。
ルーデンドルフは、味方も敵も、驚くほどのバカであった。

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[内憂外患の小康化]
ヒトラーは逮捕され、「国家反逆罪」で裁判にかけられたが、こここそ、ヒトラーの本領発揮。
裁判はさながら「ナチ演説会場」と化し、その演説内容はただちに新聞に発表された。
裁判は、これ以上ない「ナチの広告塔」となったのだ。
一方、ドイツ政府は、ハイパーインフレーションを収束させたあと、賠償問題についても、「ロンドン会議」以降、暫定的ではあるが解決に向かい、建国以来の「内憂外患」もすこし収まり、一時的な安定期に入る。
もっとも、政府の安定は、ヒトラーにとってはおもしろくないことではあったが。

[履行政策の成果@]
事態が小康化したのを見たドイツ政府(シュトレーゼマン内閣)は、「履行政策」を徹底させることで、一気にヴェルサイユ体制の緩和、および、事態の打開を狙う。
こうして生まれたのが「ロカルノ条約」である。
ヴェルサイユ体制に新しい要素が加わったため、この条約に基づく新たな国際秩序を「ロカルノ体制」と呼ぶ。
「ヴェルサイユ体制の再確認」に加え、2つの「相互援助条約」、4つの「仲裁裁判条約」などでドイツはガンジガラメに縛りあげられる。
ドイツを目の仇にするフランスも、これでようやく安心してくれるかと思いきや…。

[履行政策の成果A]
「ロカルノ」で、あれほどドイツを身動きできないほどにしておきながら、まだフランスはドイツを懼れていた。
フランスの「ドイツ恐怖症」は、日本人の想像を絶する。
「ロカルノ」後、フランスは、アメリカを軍事同盟国とするべく策動しはじめる。
しかし、問題は、アメリカが徹底した「中立主義」であったこと。
フランスは、これを説き伏せる方便として「不戦条約」というアイディアを持ち出してきたが…。
一方、ドーズ案の期限が切れるため、ハーグ会議が開催された。新たに制定されたヤング案によって、賠償問題は解決に向かうと思われた矢先…。

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[賠償問題の破綻と妥結]
降って湧いたように起こった(少なくとも当時の人々のほとんどの人はそう感じた)世界大恐慌。
発生から2年が経っても、経済は悪化の一途をたどり、「単なる風邪にすぎない」と無策を貫いていたフーヴァー大統領も、ついに対応策に出る。
フーヴァー=モラトリアムである。
しかし、それは「ヤング案」の崩壊を意味した。
これを受けて、新たに、ローザンヌ会議が開催されるも、英仏・ドイツ・アメリカの不協和音は拭いようもなく、結局アメリカの合意が得られないまま、ローザンヌの決定は発行することなく、破滅へと驀進していく。

[ナチス退潮から躍進へ]
ミュンヘン一揆の失敗を、むしろ「ナチの広告塔」として利用したことにより、直後の総選挙ではナチは大躍進(32議席)する。
しかし、直後のドーズ案成立以降、ドイツ政府が安定期に向かったことは、ナチにとっては「氷河時代」であった。
ナチにとって「国民の怨嗟の声」こそが力の源だからである。
しかし、ほどなくチャンスは到来する。
29年の世界大恐慌の津波は、たちまち内閣を倒壊させ、ナチの大躍進を惹起する。
たちまち230議席を得て第一党にまで昇りつめるが、これに、ヒンデンブルク大統領は…。

[ナチス政権獲得]
ヒンデンブルク大統領の肝煎りで強引に首相になったパーペン。
しかし、あまりにも弱体政府。
パーペンは悪あがきに、総選挙に打って出るが、それは、世論をして「ヒトラー内閣の成立」を促す結果となった。
こうして、夢にまでみた首相の座に就いたヒトラーは言う。
「私は生きて首相官邸から出るつもりはない」
これは、ヒトラーがすでに首相就任前から「独裁制の確立」を決意していたことを意味する。
首相就任後、ヒトラーはただちに総選挙を実施。
「国民革命」の実施に取りかかる。

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[ドイツ第三帝国の成立]
総選挙の結果は、ヒトラーの期待にわずかに届かなかった。
そこで、ヒトラーは「国会議事堂放火事件」を共産党の責任としてこれを非合法化、その議席を剥奪することで、満足いく結果を導いた。
ただちに「全権委任法」を制定し、ヒトラーは、大統領も議会も、そして、「世界でもっとも民主的な憲法」と絶賛されたヴァイマール憲法すらも無視して、独裁的な権力を揮うことを認められた。
こうして、ムッソリーニにつづくようにしてヒトラーも独裁者となり、第二次世界大戦の「悪(のレッテルを貼られた)」の主役は出そろった。
彼はその後…。